いぶログ

12才になりました。いぶきと私と夫の徒然日記。
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愛しいいぶきへ、捧げる言葉
このページを開くのは
うんと久しぶりのことです。

2011年、日本は
多くの悲しみの中に在りました。
その、おひとりおひとりの悲しみに
すべて寄り添うことはできなくても
悼み、祈り、そこにあるだけの愛を、善意を
多くの方々が寄せられたことでしょう。

実際に震災を体験したわけではない私が
これ以上、言葉を重ねることは
ただの机上論
独りよがりにになってしまうだろうと想像します。
ただただ、祈っています。
毎日、祈っています。

そして、とうとうこのことを
ご報告しなければいけない時がきてしまいました。
2011年、まだ暑さも残る9月上旬
私の世界で一番大切な宝物、いぶきが
この世を去りました。

13歳の誕生日を迎え
徐々に衰えを感じさせるところはあったものの
急速に体調に変化が見えたのは
8月に入ってからのことでした。

元々調子の悪かった後ろ足が
完全に立たなくなり
最後の二週間は
ナックリングという症状が表れ
それまで前足だけでなんとか歩行できていたものが
それも適わなくなり
ほぼ、寝たきりの生活を過ごしました。

その間のことを言葉にするのは
とても難しい。
いぶきには、なんとも不自由な切ない
そして、もしかしたら苦しい時間だったかもしれない。
それまでできていたことが
できなくなってしまったのだから。
けれど私にとっては
四六時中、いぶきと過ごすことができて
いっぱい話をして
マッサージをしてはいぶきをさすり
眠ってもらおうとおでこをなで
思い返してみても
身体はとても辛かったはずなのに
幸せだったと感じるのです。
手をのばせば届くところに
いぶきはいてくれた。
触れればあたたかいその体温を
感じることができるくらいそばに。

いぶきが息を引き取った日の
夫の日記にはこう記されていました。
「我が家の天使が、ほんとうに天使になってしまいました」

天使になったいぶきの足は
きっともう痛くないだろう。
天国はきっと、いぶきの好きなにおいがして
おいしいものがたくさんあるだろう。
はしゃぎすぎて疲れたり
食べ過ぎておなかを壊したりしてないかな。

いぶきがこの世を去ってから
私ははじめて
本当の意味で
いぶきのお母さんになれたような気がします。
ただただ心配で
ただただ想っている。
穏やかな心でいてくれることを。
幸せに暮らしていてくれることを。

先日、四十九日を迎えましたが
お骨はまだ、私の手元にあります。
朝、目が覚めたら一緒にお日様のよく差す部屋にきて
夜、休むときには寝室に。
いぶきのお骨は
すべてを持ち帰ることはできなかったので
とても小さな、本当に小さな
お骨入れに入っています。
いぶきがはじめて
我が家へやってきた生後2ヶ月の頃より
ずっと軽く、小さなお骨入れです。
そのお骨入れを
両手で胸に抱え
葬儀からの帰り道では
助手席のひざに乗せて
帰ってきました。
それはほんとうに
いぶきが仔犬だったころと同じ光景でした。
「あのときと、おんなじだね」 
「いぶきが好きだった公園だよ」
「もう一度、このお店のパンを一緒に食べたかったね」
家へ帰り着くまで
ひざの上でずいぶんと軽くなってしまったいぶきに
私はずっと話しかけていました。
そして、それは2ヶ月近くが過ぎた今も続いています。
「今日はいぶきの好きなお肉屋さんのお肉だよ」
「コスモスが今年も咲いたね」
「今日は頑張りすぎて、ちょっと疲れちゃったよ」
独り言と言ってしまうとさびしいので
私はいぶき事と勝手に思っています。

最期の日のことを書こうと思います。
いぶきが生きていてくれた
大切な、最後の1日だから。

その日は久しぶりに
いぶきを残して
外出しなければいけない日でした。
それまでの2週間、本当に
つきっきりでそばにいたのに
その日に限って
私は外出したのでした。
その理由は、いぶきの介護グッズを揃えるためでした。
実際2週間、ほとんど寝たきりのいぶきと過ごしてみて
必要だと感じたもの
これから必要だろうというものを調べ
通販で買えるものは買い
実際に見てみないとわからないものだけ
その日、買いに出かけたのでした。

帰宅すると、いつもはうとうとして
待っているいぶきが
目をぱちくりさせて
起きているので
たくさん話しかけて
水分補給と食事をしてもらおうと
いつものように、体勢を整えました。
けれどいぶきにはもう
食欲はありませんでした。
フードをふやかしたものも
はちみつ入りのお水も
果物ジュースも
ほとんど欲しがらず
すぐに顔をそむけてしまいました。
手のひらにのせると
少しずつ食べてくれるので
時間をかけて、いぶきが食べれる分だけ
食べてもらいました。

その日は、いぶきを病院に
連れていく日でもあったので
私は食欲がないことを
手帳にメモしました。
その手帳には、介護について
いぶきの体調について
確認したいこと
心配なことが
びっしり書かれていました。
あの日、本当に私は
まだはじまったばかりだと思っていたのです。
自力で起きることができなくなったいぶきとの生活が
はじまったのだと、そして
これからも続いていくのだと
信じていたのです。

もう少し、涼しい時間になったら
病院に出発しようという頃
それまでまったく立てなくなっていた
前足をうんと無理やりな感じで
突っ張らせて
いぶきが座ろうとしました。
左右のバランスがとれないので
すぐに崩れ落ちてしまいそうになる体勢を
前足をバタバタさせて
なんとか座ろうとあがいていました。
そして、いぶきは座ったのです。
うんと、アンバランスな姿勢で
とっても背が低いワンコみたいだったけれど
それでもいぶきが座ってくれたのです。
私の目を見て、夫の目を見て
部屋の中を見渡して
そして、目を輝かせて
笑っていました。
それは、胸が苦しくなるほど
愛しい、私のよく知っている
いぶきの顔でした。

次の瞬間、体勢が大きく崩れて
いぶきは夫と私の腕の中に倒れ
二度と、起き上がることはありませんでした。

病院では酸素吸入や
心臓に働きかける注射等の処置が
行われましたが
その日のうちに
いぶきは息を引き取りました。
死因は心不全
獣医師さんからは
「老衰といっていい」 と
言われたと夫が言っていましたが
私は覚えていません。
子どものように泣きながら
「よくがんばったね。えらっかたね」 と
ひたすらにいぶきに話しかけていました。

その夜は、一晩中キャンドルを灯して
ずっといぶきのそばで過ごしました。
なんてことはない、いぶきの仕草の
どれが一番好きだったとか
そろそろシャワーしてあげなきゃ、くらいの
いぶきの体臭が実は二人とも
そんなに嫌いじゃなかったとか
そういうきっと関係ない人からしたら
愚にもつかない話や
車いすを作ろうと図面を作っていたところだったのに
間に合わなかったね、とか
今日、ずっとそばにいたらよかったね、とか
悔いていることを
夫と語り合いました。

次第に冷たくなっていく身体は
いぶきから柔らかさも奪っていきました。
それでも肉球が柔らかかったこと。
その冷たさはまるで
海で泳いであがってきたばかりのようでした。
首の皮のだるだるもいつものままで
よく眠っているいぶきを
こうして起こしたな、と
優しく、くしゃくしゃっと触れました。

まるで眠ってるみたいだね、と
夫と言い合った穏やかないぶきの顔は
朝方になると
まるで笑っているような顔つきになっていました。
口が丸みを帯びて
少しだけ開いた目がうるうると澄んでいて
相変わらず、この上なく優しいのでした。

その、優しいいぶきが残したもの
それも一切、手をつけないので
残していってものが
いぶき家にはいっぱいありました。
いぶきの死後も
通販で注文したものが
どんどん届いてしまうありさまでした。
もう使ってくれるいぶきはいないのに
今頃届いても、どうしようもないのに
届いた荷物を部屋に運び入れるたびに
やっぱり私は
子どものように泣いてしまうのでした。

その数々の荷物たち
今はもう、いぶき家にはありません。
使っていただける団体様へ
9月のうちにお渡ししてきました。
被災したペットを保護されている
NPO団体さんの存在をネットで知り
お役に立てるのであれば、と
手つかずのフード、おむつ、ペットシーツ
フロントライン、フィラリアのお薬
車いっぱいに積んで
お渡ししてきました。
いぶきのものが、部屋から消えてしまうことは
とてもさびしいけれど
今、本当に必要としている子たちがいて
お役に立てるのであれば
いぶきもきっと喜んでくれるだろうと決めました。

いぶきがいなくなってから
家に入ったときのにおいが変わりました。
そうして少しずつ
家の中からいぶきの痕跡がなくなっていくことが
今は本当にさびしい。
けれど覚えています。
私の身体は覚えています。
いぶきの感触を、いぶきのにおいを。
私の心は覚えています。
いぶきがどんなに忍耐強く
優しい心の持ち主であったかを。
そしてそれと同じくらい
不器用で甘えんぼだったことを。
愛しいいぶきを
私のぜんぶが覚えています。

いぶきとの思い出が増えることは
もうありませんが
減ることもまた、ありません。
私にはまぎれもなく
いぶきと過ごした13年の中に散りばめられた
宝物たちがあります。

いぶき、だから私のことは大丈夫。
本当は大丈夫じゃないけれど
大丈夫だって強がるよ。
それがいつか、強がりじゃなくて
本当になるって信じているから。
いぶきがくれたものたちが
きっと私をそう導いてくれると
信じているから
やっぱり私は大丈夫なんだと思う。

愛しい、いぶき。
普段は人見知りなあなたが
愛犬が危篤だという方のところへてくてくと歩いていって
そっとひざに顔をのせてその方を見つめたことを
私は覚えています。
小さなワンコに威嚇されて
ガブリと鼻をかまれて出血したときも
微動だにしなかったことを
私は覚えています。
一緒にお散歩に行ったとき
釣り針が肉球に刺さって
さぞ痛かっただろうに
声ひとつあげずに
お散歩を続けたことを
私は覚えています。

愛しい、いぶき。
言いたいことは
本当はまだまだ尽きない。
きっと永遠に尽きない。
このさびしさが尽きないのと
同じように。
けれどもそれは
私があなたを大切だったという
ゆるぎない証。
大好きだったという証。
今、さびしい分だけ
あなたがいたときは
幸せだったという証。
だからこれは、仕方がない。
さびしいことは、仕方がない。

愛しい、いぶき
生まれてきてくれて、ありがとう。
私のところへきてくれて、ありがとう
ご飯を食べてくれてありがとう。
一緒にお散歩してくれてありがとう。
たくさんの笑顔と優しさをありがとう。
ずっとそばにいてくれて、ありがとう。

ありがとう、ありがとう。

いぶログに遊びにきてくださった方にも
心からお礼を申し上げます。
いぶきはまた、ここを通しても
すてきなご縁をたくさん結んでくれました。
親愛なるみなさんと、ご家族とワンコが
これからも穏やかな時間を過ごされますよう
心よりお祈り申し上げます。

最後になりますが
今の私の気持ちをここに記します。

いぶきという種が芽吹いて
青々と成長し
立派な木になって
美しい花を咲かせ
たくさんの実をなし
いつか枯れて
その役目を終え
私の目には見えなくなっても
きっとどこかに
また種はまかれると
信じています。

その種に、いつかまた出会えたらいいな。
そんなおとぎ話のようなことが
これからの人生に起きたらいいな、と
子どものように願い
「いぶき、いぶきがいやじゃなかったら
またお家の子に生まれておいでね」 と
いぶき事を話していることを告白して
いぶログ、これにて
お別れいたします。


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